「太陽と緑の道」って何だ? [長草のこと]
町は、全く新しく、ゼロから作り上げたものでない限り、複層的な様々な側面を持っています。
長草の町も、起源は中世に求める事ができますが、そのまま現代に至っているわけではありません。今でも区画整理が行われ、新しい住民は増えています。そんな新住民の増加の先駆けとなったのは、1960〜70年代の高度経済成長時代でした。
どこの町にでも言える事でしょうが、昔からその土地で生活している人たちと、新たに入ってきた人たちでは、生活習慣も違えば、土地に対する思いも違います。そうしたギャップを埋めていくための試みが様々なされた時代でもあります。
1975年4月に、長草地区と隣の共和地区のコミュニティの場として、共長公民館がオープンします。そしてそこを中心とした様々なイベントが企画されていきました。
「太陽と緑の道」もその1つ。大晦日に長草・共和地区の社寺を巡り、除夜の鐘を突いて、初詣をする、といったものだったようです。公民館をスタートし、円通寺・長草天神を巡って戻ってくると、温かいぜんざいや甘酒が振る舞われたそうです。
最近は、自動車が多くなり、夜間の歩行が危険だという事で中止されていますが、近隣住民のボランティアに支えられながら、11月の「歩け歩け大会」に受け継がれています。
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