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菅原道真は、いつから天神様になったのか... [長草のこと]

週末あたりから、画像はアップロードできなくなるし、Macの調子も悪くなるし...で、記事を思うように書けない状態が続いている...。原因が分からず、困ってしまう...。

と言っていても始まらないので、できる範囲内で記事を書いていきます。

菅原道真は、いつから天神様になったのか...。

長草天神社の御神体は、ご存知、菅原道真です。承和12年6月25日(845年8月1日)〜延喜3年2月25日(903年3月31日)とされていますから、今から1100年ほど前に亡くなっています。旧暦の命日に合わせてどぶろく祭りをしているようです。

代々、菅原家は学者の家柄で、中流の貴族であったようですが、菅原道真は宇多天皇に重用され急速に地位を高め、政治改革を推進していきます。土地制度や税制度の見直しなどの政治改革は、有能であるだけでなく、既得権益をもたない学者貴族出身の菅原道真でなければできなかったかもしれません。

国の財源確保のために、荘園などの私有地を国家に取り戻すことも考えていたようですから、反発も招いた事でしょう。荘園整理のため検地実施予定の902年(延喜2年)の前の年に、菅原道真は失脚させられます。

当時の反対勢力である既得権益者、藤原氏をはじめとする貴族(官僚)階級の勢力盛り返しで、菅原道真は太宰府に左遷され、その地で亡くなることになりました。

菅原道真の死後(903年)、京都の異変や、皇子の病死、清涼殿の落雷(930年)などが道真の祟りとされ、それを恐れた朝廷は、道真の罪を赦し、死後の位を上げました(942年)。そして、落雷以降、菅原道真は雷神と結びつけられたので、火雷天神を祀っていた北野に北野天満宮を建立し(947年)、道真の祟りを鎮めようとしました。

清涼殿の落雷は、菅原の道真の死後27年後。北野天満宮が建立されたのは、44年後。菅原道真が、いかに強く、人々の心に残っていたかがわかります...この頃、天神さんになったということでしょう。

道真が死後に送られた神号は「天満(そらみつ)大自在天神」。どの時点で送られたのかは、わかりませんが、雷の落ちる前なのだろうか、落ちた跡なのだろうか...この名前があったから、雷の神様になったのだろうか...などと、いろいろと想像してしまいます。

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