長草八幡社の数奇な運命 [長草のポイント]
現在の長草八幡社は、長草天神社末社という形で、明成町1丁目20に位置している。
詳しい創建年代は不明なのだが、長草村の5社産土神の一つとして、慶応年間(1865〜1868年)に神殿が改築されたいう記録があるらしい。
明治7年の土地整理の布達により、明治10年に八幡社のもとに、愛原の神明社・田ノ神の田ノ神社・東寄合の山ノ神社・本郷の藤井神社と荒神社・五ツ屋の五ツ屋神明社の6社が合祀される。
しかし、明治44年には、今度は合祀された6社を引き連れて、長草天神社に合祀されることになる。八幡社の土地は天神社のものとなり、神殿は共和八ツ屋の神明社に売却され、立木は競売に、土地は開墾地として貸付けされた。
氏子からの懇願書が提出され、昭和16年に現在の位置に神殿を建立。
昭和47年に新社殿を建立、神社庁に届け出を行い、正式に遷宮を行い、御祭神を現在の位置に戻す。その際、以前合祀されていた神明社・藤井神社・田ノ神・山ノ神・荒神は、天神社内に留まっている。
こうした石像物は再遷宮後の新しいものが多いようだ。石灯籠と手水石は、昔のものを再び移設した。
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2007-04-26 11:27
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