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長草には公会堂が6つある [長草のこと]

写真は、長草の西山地区にある公会堂。このように、長草には、公会堂と呼ばれるものが6カ所あります。
ここは、各地区の人達が集まる場で、古くからの長草を形成する6つの地区(これは、どぶろく祭りを運営する6つの地区でもあります)に置かれています。

どぶろく祭りの製作も、長草天神社内にある酒造所ができるまでは、各年持ち回りの地区のこうした公会堂で作っていたようです。

昔からの長草の地域のコミュニティが続いているのは、「どぶろく祭り」という伝統的な祭りの存在とともに、それを支える「日常的な作業をする場」...公会堂の存在が欠かせなかったと感じます。

新しい地域コミュニティを展開しているところでも、こうした「場」の存在を感じることが多いです。

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長草の田ノ神神社跡と自然観 [長草のこと]

以前、山ノ神神社のことを書いたが、田ノ神神社も同様に、今は長草天神社に祀られている。

山にいた神様が、春になって里に下りてくる。秋になって山に帰っていく...といったイメージなので、山ノ神と田ノ神が1セットになることが多く(もちろん、そうでないこともあります)、その転換点が春祭りであったり秋祭りであったりします。

長草の山ノ神神社跡と田ノ神神社跡は、直線距離にして2〜300mぐらい、道沿いに行くと500mぐらいだろうか。もちろん坂道になっている。昔は木が生い茂っていただろうから、今のように簡単な道のりではなかっただろうが。


田ノ神が祀られていた辺りは、今はマンションなどの建つ住宅エリアとなっている。

山ノ神は恐ろしい神であるが、田ノ神は恵みをもたらす...という神の持つ二面性は、そのまま、日本人の自然観であり、厳しく死に至らしめる存在でありながら、生きるための恵みをもたらす自然を、アンビバレントに受け止めていた現れのように思う。

田ノ神は、時代や地域によって男根の形で表されることがあるが、長草の田ノ神がどうなのかはわからない。

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長草町のチョット変った形 [長草のこと]

地図で見ると、長草町はチョット変った形をしている。

長草に東部、殿田・いせ木・凪場あたりは、周辺の地区が新住所に変り、他の長草町とつながっている部分がほんの少しとなってしまった。(地図の右端の方の飛び出た部分)
http://blog.so-net.ne.jp/nagakusa/2007-03-19-1

殿田・いせ木・凪場は、鞍流瀬川沿いの地域で、「いせ木とは、堰のあるところ」、「凪場は、波の立っていないところ」の意味で、川が堰によって流れが緩やかになっていた場所であったことがわかる。長草の中でも土地が低く、低湿地となっている。

鞍流瀬川は、それほど大きな川ではないのだが、数年前の東海豪雨の時には、かなり増水したそうだ。

そもそも、鞍流瀬川という名は、桶狭間の闘いで敗れた今川方の武将が、この川沿いに大府まで逃れてきたとき、足を滑らせ川に落ち、命は助かったが鞍を流された...という言い伝えにちなんで付けられた名前で、昔はそれなりの水量があったことが推測できる。

また、桶狭間の闘いが雨中に行われたという話が本当であるなら、降雨によって、急激に増水する鞍流瀬川の特徴を捉えた話なのかもしれない。

この辺りに定住するということは、この川との闘いという側面はあっただろう。

そんなことから、凪場には、土の崩れた場所という意味もあったようだ。


殿田あたりの鞍流瀬川


殿田のあたり


殿田から鞍流瀬川に沿って凪場の方向を見る


殿田から鞍流瀬川に沿っていせ木の方向を見る

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長草の古窯 その2 [長草のこと]

長草の古窯の続きです。
http://blog.so-net.ne.jp/nagakusa/2007-03-26

古窯についていろいろ調べていくと、大府の丘陵地帯には,多くの古窯が見つかっている。平成17年3月9日現在、大府市全体で、174の古窯が確認されている。これは結構な数だ。

大府市の場合、区画整理事業などで、こうしたものが発見されると、それから調査を行う形になるので、本当は知られていないだけで、もっと多くの古窯があるのかもしれない。

前回取り上げた深廻間の古窯群も3カ所確認されていて、それぞれ「深廻間A古窯群(鎌倉)」、「深廻間B古窯群(中世)」、「深廻間C古窯群(中世)」と名付けられている。

また、周辺には、「上田ノ松古窯(中世)」「車池A古窯群」「車池B古窯群」「立根B古窯群(中世)」「立根C古窯群(中世)」「山口古窯群(中世)」「柊山A古窯群(不明)」「柊山B古窯群(不明)」「柊山C古窯群(中世)」があり、中世には、この辺りが、焼き物の一大産地であったことがうかがえる。


(写真は「深廻間B古窯群調査報告書」から)

前回の記事で「試し焼きの窯...」といった記載をしたが、大府市の歴史民俗資料館に問い合わせたところ、窯がキチンと作られており、何度も焼いた形跡があることから、試し焼きのものではないのではないか...との見解をもらった。


(写真は「深廻間B古窯群調査報告書」から)

昨年出版された調査報告書の写真を見ると、確かにきれいに窯の形で残っていて、試しのものではなさそうな感じがする。


深廻間A古窯群のあった辺り


深廻間B古窯群のあった辺り


深廻間C古窯群のあった辺り

それぞれ現在は、区画整理によって宅地になり、新しい住宅が建っている。

近くには公園がある。部分的でもいいから、古窯を取り込んだ公園づくりを考えてもよかったように思うが...それは贅沢なことだろうか?。

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長草の古窯跡 [長草のこと]

それほど遺跡が残っていない大府にあっても、古窯跡はよく発見されている。長草にも深廻間のあたりで発見されている。

知多半島では、6大古窯の一つ、常滑焼が有名であるし、知多半島から北へ行った猿投は、平安時代から焼き物の産地であった。その北には、これまた6大古窯の瀬戸がある。愛知県のこの南北のラインは、焼き物に適した土が採れ、古代から現代に至るまで、日本の焼き物の中核を担ってきた。

したがって知多半島では、常滑以外の大府市、半田市、東海市、東浦町、武豊町などにも古窯の跡が広く残っている。中には、そこで試しに焼いてみて、焼き物に適した環境であるかどうかを調べた窯もあるようだが...。産業としての窯業は、近世にかけて、常滑に集中していったようだ。

今でも、区画整理などのため掘り起された地層を見ていると、古窯が発見されている辺りには、確かに粘土層を確認することができる。私も子供と粘土を採って遊んだりした。

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長草のブドウ [長草のこと]

長草にはブドウ畑(ぶどう園)がたくさんある。籠池でタヌキと出会ったのもブドウ畑だった。ブドウ畑は、ネットや目の細かい柵でグルリと囲まれているので、車で走っていてもすぐに見つけることができる。


大府で栽培されているブドウの多くは巨峰などの生食用で、ワインのためのブドウは栽培されていない。

山梨や長野のように、ブドウの産地として有名な所は、ワインの産地としても有名であるのに対して、大府にはなぜ、ワイナリーがないのだろう...と以前から思っていたが、
考えてみれば、巨峰など商品価値の高いブドウを、コストをかけてワインにしても、採算が合わないだろう...ということは想像できる。また、ワインの産地としてのブランドイメージを築いていくのにもコストと時間が必要で、それなりの企業体が参加しない限り、なかなか難しいことなのだろう。


大府で生食用のブドウの生産がはじまったのは昭和25年。長草に住む山口保さんが始めたという。そう考えると、現在では知多半島の広い範囲で生産されている生食用のブドウの起源を長草に求めることができるのだろうか?

しかし驚くことに、長草でのブドウ栽培の起源は、さらにさかのぼることができる。明治15年、盛田久左エ門が、ワイン製造のため、長草でのワイン用のブドウの栽培を推進したという(盛田久左エ門は、造り酒屋「子の日松」(ソニーの盛田昭夫の実家である))。ただ、虫害などによって、すぐにこのブドウ栽培は絶えてしまうのだが。
■盛田のサイト
http://www.moritakk.com/

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長草の弘法宿 [長草のこと]

弘法宿というのは、知多四国88カ所巡りをする人達が、安い料金で宿泊できる宿のこと。

巡礼の距離は約160キロで、徒歩でなら一週間ほどかかり、こうした宿も利用されていた。しかし時代の移り変わりとともに、徒歩から自転車、そして自動車やバスへと移動手段が変わり、利用者が減り、弘法宿は姿を消していったようだ。

長草には、知多四国5番札所である地蔵寺があることから、山口屋(大正まで営業)と豊年屋(昭和15年まで営業)の2軒があったらしい。

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長草の大根 [長草のこと]

長草は、戦前までは大根の産地として有名だったらしい。
長草の大根を積んだ「大根列車」が仕立てられ、関西方面へ出荷していたという話もある。

また、切干大根に加工され、「知多切干」というブランド名で全国に...東北地方、特に軍隊関係で使用されていたようだ。

今は、そんな大規模な大根畑を見ることはないが、畑の一角でこのような姿を見かけることはある。


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長草の地図と領域 [長草のこと]

長草の現在の領域を示した地図です。


1.大池  2.西忍場(にしおんば)  3.笹山  4.茶臼
5.石原 6.東忍場(ひがしおんば)7.螢ケ脇(ほたるがわき)
8.白?下(しらはした) 9.峯  10.中屋敷  11.ドンド
12.下北山  13.前屋敷  14.本郷  15.後田
16.八幡西  17.前田  18.坪井  19.田ノ神
20.向江裏  21.田面(とうも) 22.仲良畑(なからはた)
23.杁口下  24.西寄合  25.東寄合  26.亀池
27.新池  28.墓所根(むしょね) 29.向江
30.火燈(ひともし) 31.上田ノ松  32.平手前
33.下田ノ松  34.立根(たてね)35.前新切  36.車池
37.深廻間  38.いせ木  39.法林坊  40.上長口  
41.下長口  42.道仙  43.大坂下 44.山口
45.下ノ坪  46.殿田(とのだ) 47.凪場  48.五ツ屋東

新しい道が通り、そこが「○○何丁目」という地名に変更し、長草の領域から外れていっている様子がわかる。不自然な凹みは、そうしたことの現れ。

次は...どこ?...というのも、何となく分かってくる。

地図を見ていると、長草の歴史的な中心地が、長草天神社や地蔵寺のある「本郷」とその周辺の「中屋敷」「前屋敷」辺りと見る事ができる。

また、長草の西や東の地域の区画が大きいあたりは、昔は山林などであった事もうかがえる。

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「ヌメリ川」から「山口」へ(長草の地名) [長草のこと]

長草には「山口」という地名がある。長草の南の端、ほとんどが豊田自動織機長草工場の敷地になっている所。

この地区は、以前は「ヌメリ川」という地名であったのだが、横書きにすると「又刈川」と間違えやすい...ということから「山口」という地名に変ったようだ。「山口」は、豊田自動織機の創設者、豊田佐吉の出身地の名前だという。

それで、チョット調べてみると...確かに。
豊田佐吉(とよだ さきち/1867年3月19日(慶応3年2月14日)〜1930年(昭和5年)10月30日)は、遠江国山口村(現・静岡県湖西市)出身とある。

愛知県豊田市(とよたし)も以前は「挙母市(ころもし)」であったのをトヨタ自動車の工場ができたことを機に、1959年に豊田市に改名している。

トヨタ関係で、このように地名を変えている所は、他の地域にもあるのだろうか?

豊田佐吉とトヨタ源流の男たち

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